長い人生の中で ひとつでも 楽しい思い出が残れば幸せだったと言えるだろう。
一辺の希望も叶わず 寂しい人生を送る人も居るのです。
帰りたくとも 帰る場所の無い放浪者と貸した人達に冬は厳しい。
クリスマス頃から、炊き出しの列に並び 暖かい汁を啜る。
毎年見かける光景だけど、もう少し 時がずれていたら。。。あの中に。。。
と思うことがありました。 季節労働者で出稼ぎに従事していた実父。
年に一・二度帰宅するだけの厳しい仕事だったと思う。
我ら姉妹・兄弟は 家に居る父を見た事が無かった。
父親不在の慣れは恐ろしい結果を齎した。 話が出来ない(他人行儀)
目の前に座らされ・・・最近は如何だ!ときかれても 「特別何も。。。」で終わる。
家族で食卓を囲む時が地獄だった。 食べるのが遅い私は攻撃の的で
女子供が 最後まで食卓に居座るな!!!!!って叱られる。
最後は味噌汁ぶっ掛け 流し込む。。。 最悪な食事風景。
多分悪気は無いんだと思う。 外に出た時困らない様に叱咤だよね。
母親を手伝えって事だと、判断し台所に逃げ込む。
台所が嫌いに成らなかったのが不思議です。
母子で洗い物や、煮物のコツやら沢山教わりました。
お陰で 姉妹の誰よりも 実家の味付けが染み込んでいます。
最後の最後に 私に世話されて気の毒にと思いましたが
どうやら違ったみたいです(笑う

介護が辛かったとも思わなかったし、足りていたのかも分からなかったけど
自分成りの介護をしたと思って、満足感で見送れたよ。(両親)