私は何を見ているのだろう・・・何も見ないようにしているのさ” 現実逃避かも・・・
弱い自分を覆い隠していたものが剥ぎ取られ、晒されて手も足も出せなくなってる。
幾ら強靭なバリケードを構築しても、所詮軟弱者ゆえ 鍍金が剥がれる・・・
何を積み重ねたのだろう。偽善? 悲しいくらい中身がありません。(;´д` ) トホホ
久し振りに自己分析をした汗
自分の事って、意外と気付いてないものですね? 人間嫌いの引っ込み思案が、必死に
外に出ようと足掻いた過去がある。 無理して頑張るって事は・・・根は別物なのだびっくり
今だって、努力して対人関係を繋いでいるのだから・・・情けないよ悲しい
周りの人達には、超能天気おばさんにしか・・・見えていないだろう(笑)
いつでも 必死でシュミレーションして、動いているなんて、考えた事ないだろうね。
此れが私なんです(;´д` ) トホホ 見かけと違うのよ・・・

人間って どんな幼少期を過ごしたかで、先の生き方が分かれるんじゃないのかな?
最近そう思うように成った。 
一応8人家族であったはず・・・なのに、父の記憶がないすいません
在宅ではあったのですが汗 姿を見たことが無いびっくり何でだろう、他の姉妹兄弟に
聞いた記憶も無い。(この疑問をですよ)
普通は聞くんじゃないのかな? 自分の親のことだから・・・暢気と言うより、無関心なのか?
其れくらい、人とのかかわりを避けていた自分って、なんだったんだろう・・・

その後結婚して、完全に家族と離れた生活をしだし、娘が生まれ、多少は自分に色が出てきた。
しかし、暢気な私が全てを整理して、挑まなくちゃいけない事態が迫っていた。
検診で娘の聴力が不安定だと知らされた困った 田舎過ぎて、細かい検査が受けられぬ。
暫くは様子を見ようと言われたが、どうも事実らしい事が判明した。
私以上に、無関心で指示が一切入らない・・・ 限界を感じて川崎に越してきた。
其処から、30年間に渡る二人三脚が始まった。まずは、通院しながら、人と接する事を
学び、生きる為の訓練が始まった。 全てのものに名前(固有名詞)があり、音があるのを
教える事から始まった。この事は自分にもいい経験となったし、勉強になった。
今まで、この事は日記にはぼんやりしか書いてきていないんだよね?
私達夫婦は、期限付きの娘の為に、あるとあらゆる事を試してもみたし、行動もした。
やりたいと言う事は、出来る限り環境を作りサポートを続けてきた。
其の為に、犠牲を強いられた息子には申し訳ないことをしたと思う。
今、其の付けを払っている所かな~~~夫婦で御免なさい状態です(笑)淋しかっただろうね。
今はお姉ちゃんの分も含めて愛しています。
あの子が好きだった 詩を私も書き続けようと思っています。銀河の世界を彷徨うような
詩は書けません。(発想が貧困なもんで(笑)此れが私達家族の30数年間です。

そして、聞こえぬ耳に歌音符を届けたのが若在りし頃の宮沢和史なんですびっくり
原宿でギターを弾きながら、歌の練習をしていた声を・・・風が振動で伝えてくれたのです。
神様は補うべく何かを持たせてくれたのですね。感謝感謝(´∀`*)♪

此れからも、何事にもメゲズ挑戦していく覚悟は出来ています。(心算・・・
パソコンパソコンも五十歳を過ぎてからの挑戦ですものね?(只今勉強中本
あと少し 自由に出来る時間を下さいね、貴女は違う所で先に逝った、祖父母のお世話してる 
そう思っています。私が行くまでお願いします。って・・・此処で書くの変ですね(笑)